和魂を語る


  一口に琵琶と言っても色々な種類のものがありますが、中でも古典琵琶ともいうべき「平家琵琶」は、平家物語の誕生と共に、琵琶法師が、平家物語の詞章を琵琶の伴奏で語ったものです。

また近代琵琶の「薩摩琵琶」は、薩摩の「盲僧琵琶」を起源としており、現代では、もっともポピュラーな琵琶語り音楽の伴奏楽器であります。 

私は、学校の特別授業などで、この二つの琵琶楽器による「琵琶語り」を聞きくらべてもらいながら、いつも次の事を付け加えます
ブラジル人には、サンバのリズム、アフリカ人には、太鼓のリズムが生まれながらにして血の中に溶け入っているように、日本人にも、古代、中世に琵琶法師が語り伝えた “琵琶の響き”のDNAが必ず眠っている筈だ。ただ、今はあまり聴く機会がなく、いつの間にか忘れ去られて、気がつかなかっただけなのだ」 

ところで話がちょっと堅くなりますが、日本人の精神文明はどう形作られてきたのでしょうか。四季折々の自然に恵まれ、一木一草や苔むす岩々、山岳そのものもにも神霊が宿っていると感じた我が祖先、自然を愛し、時にはその怒りに恐れおののき、同座してきた我が先祖、外来の仏教、儒教、或いは道教の一部とも同化して自らを適合させてきた大和心、平家物語には、そんな日本人の心が、一杯詰まっているような気がします。 

琵琶そのものは、もともと、奈良・平安時代の遣隋使や遣唐使が持ち帰った舶来楽器ですが、その音色は、仏教思想の無常観や、「わび・さび」の情感にもマッチした日本独自の音色に創り変えられていったと言ってもいいかもしれません。 

昔、鎌倉・室町時代の一般大衆は、文字が読めなかったので、流浪の琵琶法師の語る「平家」を耳から仕入れ、その登場人物の合戦場面に固唾を飲み、或いはその最期に涙しました。 

 平安の貴族や戦国の武将達は、その音色と語りに、「もののあわれ」や「無常」を感じ、自分の生き方と重ね合わせました。千利休などの茶人や、文人たちは、「平家琵琶茶会」などを催し、お茶と琵琶のハーモ二―を楽しみました。

琵琶は、「非業の死を遂げた英雄の鎮魂歌」ともいわれ、「昔の日本人のいさぎよさと清々しさ」の死生観を身をもって味わうこともできます。 

あなたもこの「心のふるさと」とも云える“和魂を伝える琵琶”に一度触れていただき、“今に生きる日本人” をもう一度、振り返ってはみませんか。